2007-08-31

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)の一節「小道壮夫不爲」を臨書。
 書譜のなかでも、非常に明るく軽快な動きで作品を展開させている箇所である。
 しかし、だらだらと勢いを流すだけでなく、しっかりと止めるべきところは止めて作品を引き締めることが大切。
 また、このような軽快な箇所(古典)を臨書しているからこそ、豪快系の書道作品も制作できるのだと考えている。

2007-08-27

書・書道・臨書:臨書「ヒン風図詩巻」(董其昌)

 最近の当臨書ブログでは、孫過庭(そんかてい)の草書の名品「書譜」(しょふ)をとり上げていたが、時代を明・清に移し、董其昌(とうきしょう)の作品を臨書してみた。
 鋭い筆致、リズミカルな運筆、爽やかな線は、書家としての書学のテキストとなる古典の要素を、おおいに持ち合わせている。

2007-08-23

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)の最後のあたりの箇所「之旨余無取焉」を臨書。
 特に、一文字目「之」の第一画目の点と二画目の距離に気を配ってみた。

2007-08-21

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 最近の当臨書ブログで続けてとりあげている、孫過庭(そんかてい)の名品「書譜」(しょふ)の一節「議於断割語過」の書・書道(臨書)作品。
 特に、三文字目の「断」の最終画などは、文字の懐を大きく取って、余白の重要性を我々に示してくれている。
 よく、「臨書の行為が書道作品制作に結びつかない」という声をCalligrapherの主宰する書道教室でも耳にする。
 それは、『この古典のこのような部分を書道作品にとりいれてやろう』という心構えの不足から来るものなのである。

2007-08-20

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)の一節「龍泉之利然後」を、引き続き臨書してみた。
 『仮名書道作品を制作するには、漢字の草書の古典臨書学習が必要不可欠』と申し上げても、特に初学の方にはなかなか、理解してもらい難いところがある。
 Calligrapherの主宰する書道教室でもそうだ。
 確かに、古筆にも漢字は登場する。しかし、古筆のような小さな文字造形のなかで、正確な(草書の)文字造形のとりかた・運筆をマスターしようと考えても、なかなかできるものではない。

2007-08-18

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 引き続き、孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)の一節「道也豈可執氷」を臨書。
 筆を持つ期間が長くなれば、今度は、線を追いかけるのではなく“余白を追いかけた書・書道(臨書)作品制作”を心掛けてもらいたい。 

2007-08-16

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 孫過庭(そんかいてい)の「書譜」(しょふ)の一節を臨書。 文字の懐を多くとり、作品全体のスケールを大きく見せる点に注目し、臨書を行ってみた。

2007-08-13

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 ここ数日続けている臨書作品の「書譜」(しょふ。孫過庭)の一節「内殊衂挫於豪」を臨書。
 二文字目・五文字目の“線を交差させる箇所”において、それを縦画の上で行わない(縦画の位置からはずして交差させる)点を学びたい。

2007-08-12

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)の一節「手雙暢翰不虚」を臨書。
 五文字目「不」の最終画は、「書譜」の古典特有の節筆を表現したもの。

2007-08-11

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 引き続き、孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)を臨書(「其点画乃成其」)。
 この場面は、“書聖”王羲之(おうぎし)「十七帖」(過去の当臨書ブログ記事参照)のように、無駄な動きを排除した箇所で、初学の方には、うってつけのそれである。

2007-08-10

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 仮名書道作品においても、漢字の草書の古典(臨書)学習を怠ることは決して出来ない。
 現在、私は自身の書家としての書学の一環として、古筆「針切」(はりぎれ)を研究している。
 しかし、それを行うにつれて、『やはり、仮名には草書の学習が必要不可欠』との想いが強くなる。今回も、孫過庭(そんかてい)の名品より「書譜」(しょふ)の一節「研妙不亦謬哉」を臨書してみた。
 特に、「妙」字は確実に書道作品にそのまま使える造形・運筆である。

2007-08-08

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)の一節を臨書。全く無駄な動きの無いところを意識して表現してみた。
 現代の奇抜さを狙う書・書道作品制作に、注意を促すかのようなところを鑑賞(臨書)することが大切。

2007-08-06

書・書道・臨書:「針切」(はりぎれ)の臨書成果を生かして

 普段より、自身の書家として行っている研究テーマの一つ、古筆「針切」(はりぎれ)を意識した、創作仮名書道作品(半紙サイズ)を制作してみた。
 細いながら下方へどんどん押し進めていく様を表現したいと考えながらの制作である。

2007-08-05

書・書道・臨書:臨書「針切」(はりぎれ)

 古筆「針切」の臨書(書・書道)作品。
 最近は、漢字の古典を(自身の書家としての書学のために)学習することが多くあった。
 そして、再び、“古筆の雅なところ”に触れるべく、以前より研究を続けている「針切」を臨書学習している。
 仮名書道作品のためだけ、というのではなく、近代詩文書(書道団体、書道展によっては「詩文書」「調和体」とするところも)や漢字にも応用が利くよう、それらへの創作活動も視野に入れた古筆の臨書を心掛けている。

2007-08-04

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 “書聖”王羲之(おうぎし)「十七帖」と並んで、草書の最良の“指南書”とされている、孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)の一節「尽墨仮令寡人」の臨書(書・書道)作品。
 この書譜の最初あたりの箇所では、書譜特有の「節筆」(せっぴつ)はまだ見られない。次回、その「節筆」が鑑賞できる箇所の臨書(書道)作品を、当臨書ブログに掲載する予定である。

2007-08-02

書・書道・臨書:臨書「十七帖」(王羲之)

 過日の、当臨書ブログでも公開した、“書聖”王羲之(おうぎし)「十七帖」の一節のなかから「年時爲復可々」を臨書してみた。
 「十七帖」にしては珍しく、若干の躍動感をみせる場面である。しかしながら、決して奇抜なところはみせないのが、王羲之の神業ともいえる。

2007-08-01

書・書道・臨書:臨書「蘭亭叙」(神龍半印本、王羲之)

 “書聖”王羲之(おうぎし)「蘭亭叙」(らんていじょ。神龍半印本)の一節を臨書してみた。
 特に五文字目「大」などの造形は、平凡な仕事をしているようで、なかなか実践できるものではない。
 優れた古典・古筆というのは、“平凡な造形・構成で非凡な仕事(書道作品制作)を行うことの重要性”を教えてくれている。