2007-11-22

書・書道・臨書:臨書「寸松庵色紙」(すんしょうあんしきし)

 ある、仮名書道の大家が“古筆の王様”と称した、古筆「寸松庵色紙」(すんしょうあんしきし)の一葉を臨書してみた(書家の主宰する書道教室終了後)。
 作品の見せ場となる、画面中央部分に当たる三行目に強靭な線質の文字群を配しているところなどは書道作品制作に大いに参考になりそうである。

2007-11-19

書・書道・臨書:臨書「自書西苑詩巻」文徴明

 文徴明「自書西苑詩巻」の一節を臨書してみた。
 臨書については、いろいろな考え方、方法がある。しかし、基本は原本の造形・筆遣いなどをそっくりに真似ることから、全てが始まるように思う。
 上の臨書(書道)作品も、いわゆる“形臨”に徹した臨書(書道)作品である。

2007-11-12

書・書道・臨書:臨書「針切」(はりぎれ)

 書家の主宰する書道教室の稽古が始まる前に、臨書を行った、古筆「針切」(はりぎれ)の臨書(書道)作品である。
 小さい文字造形ながら、下方へ豪快に流れを押し進める様は、実に見応えがある。

2007-11-09

書・書道・臨書:臨書「自書西苑詩巻」(文徴明)

 文徴明の「自書西苑詩巻」の一節を臨書してみた。
 今回は、普段使っている超濃墨ではなく、濃墨の茶墨を使用して、ややにじみをきかせて書作している。
 文徴明の名品の、スケールの大きなところを臨書(表現)した積もりである。

2007-11-06

書・書道・臨書:臨書「関戸本古今集」(せきどぼんこきんしゅう)

 書家の主宰する書道教室での稽古が終わった直後に、何気なく臨書を行った「関戸本古今集」の臨書(書道)作品である。
 わずか三行なのだが、この小さな空間に非常に雄大でスケールの大きな世界が表現されており、ただただそれにひれ伏すばかりである。
 例えば、二行目の“人”とそれに続く“こと・・・”の処理なども、是非、創作書道作品で生かしたいものである。

2007-10-31

書・書道・臨書:臨書「蘭亭叙」(神龍半印本 王羲之)

 書家はみな学習しており、また、書道を勉強していて、知らないと必ず恥をかいてしまうほどの、名品中の名品「蘭亭叙」(らんていじょ。神龍半印本・王羲之)の一節を臨書してみた。
 とにかく原本に忠実に細かいところの形も見逃すまい、と神経を集中させ臨書。

2007-10-28

書・書道・臨書:臨書「曹全碑」(そうぜんぴ)

 私は漢字・近代詩文書(書道団体・書道展によっては、「詩文書」「調和体」と呼ぶことも)を専門としている書家である。
 しかし、古代文字や隷書などのような行書・草書以外の書体、および仮名などの書学を行わなければ、非常に“浅い専門”になってしまう、と考えている。
 今日は、「曹全碑」の臨書(書道)作品を公開してみた。
 なお、六文字目は「師」で、書道の世界特有の文字造形。

2007-10-24

書・書道・臨書:臨書「針切」(はりぎれ)

 近年、自身の書家としての書学の一環で、重点をおいて臨書を行っている「針切」(はりぎれ)の臨書作品を掲載してみた。
 特に、潤筆・渇筆を明確にし、(臨書・書道)作品として立体感のある格調高いそれを目指した。

2007-10-21

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 草書の名品、孫過庭(そんかてい)の「書譜」(しょふ)の一節「糟粕藻鑑者クム」を臨書。
 六文字目の“クム”など、非常にたくましい線が原本にはみられる。しかし、表現過多にならないよう、細心の注意を払いながら臨書作品制作を行ってみた。

2007-10-18

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 引き続き、当臨書ブログにてとりあげている、孫過庭(そんかてい)の草書の名品「書譜」(しょふ)の一節「菁華固義」を臨書。
 二文字目の「華」のように、草冠を大きく動かす方法は必ず書道作品制作を行ううえで役に立つ。

2007-10-14

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 最近の当臨書ブログで継続して公開している、孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)の一節「之夫得推移之」の臨書作品。
 文字の中の余白に気を配り、臨書を行ってみた。

2007-10-13

書・書道・臨書「書譜」(孫過庭)

 引き続き、孫過庭(そんかてい)の草書の名品「書譜」(しょふ)の一節「之奥サク著述」を臨書。
 特に三文字目「サク」の、線と線との交錯のさせ方に注意をした。

2007-10-06

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 孫過庭(そんかてい)の草書の名品「書譜」(しょふ)の一節「多方窮微測妙」を臨書。
 “測”や“妙”などの最終画によって取り込まれる“空気”を、原本から忠実に読み取って臨書してみた積もりである。

2007-10-01

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 先の当臨書ブログにて記述の通り、孫過庭(そんかてい)の草書の名品「書譜」(しょふ)の一節「士翫体勢之多」を臨書作品としてまとめてみた。
 「私は仮名を習いたい」という人がいる。小生はその人の書に関する云々を疑わずにはいられない。何故なら仮名というのは、実は漢字(特に草書)を多用した書のジャンルであり、漢字の草書の学習無しには成立させることのできないものなのである。
 「5年間、書を習っていた」というのであるが、いやはや・・・。

2007-09-29

書・書道・臨書:臨書「蘭亭叙“神龍半印本”」(王羲之)

 書家の主宰する書道教室に、新規入会者があった。
 まだまだ初学の段階ではあるが、全く筆を持ったことが無いわけでもない。しばらくは、“書聖”王羲之「蘭亭叙」(らんていじょ。神龍半印本)の優雅な世界を堪能していただこうかと思う。
 さて、次回の当臨書ブログでは、孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)をとりあげる予定である。

2007-09-26

書・書道・臨書:臨書「寸松庵色紙」(すんしょうあんしきし)

 古筆「寸松庵色紙」の一葉のなかの一節「ちはや不(ふ)る」を臨書。
 特に“は”の懐の余白の使い方、また“や”に繋がるその周囲の白を大切に、見逃さぬよう、臨書してみた。
 因みに、臨書を行った際の文字造形の大きさは原寸大。

2007-09-15

書・書道・臨書:臨書「祭姪文稿」(顔真卿)

 私が創作書道作品を展開するにあたって、特に重視している古典の一つ、中国唐時代の四大書家の一人、顔真卿(がんしんけい)の「祭姪文稿」(さいてつぶんこう)を臨書。
 豪快で重厚な線質によって構成された名品である。しかし、それとは逆の“息抜き”をさせた箇所があるからこその品格がある。

2007-09-13

書・書道・臨書:臨書「十七帖」(王羲之)

 “書聖”王羲之(おうぎし)の草書の名品「十七帖」を臨書。当臨書ブログでは以前にも、この十七帖をとりあげたが、今回は創作書道作品への移行を意識して、羊毛超長鋒筆を使用して、臨書(書道)作品としてみた。

2007-09-11

書・書道・臨書:臨書「針切」(はりぎれ)

 当臨書ブログでさかんにとりあげている、古筆「針切」(はりぎれ)を臨書。
 潤筆(しっかりと墨を含んだ箇所)と渇筆(カスレた箇所)を原本の通り、はっきりと表現し、書道(臨書)作品として格を保つことが出来るよう、遠近感を表現することに苦心した。
 古筆における潤筆・渇筆の変化の重要性は書道教室でも、いつも説いている事柄である。

2007-09-09

書・書道・臨書:臨書「寸松庵色紙」(すんしょうあんしきし)

 “古筆の王様”とまで言われる、堂々とした雰囲気をみせる、古筆「寸松庵色紙」(すんしょうあんしきし)の一葉を臨書。
 一行目の「も」などは創作仮名書道作品で、すぐにでも使えそうである。

2007-09-08

書・書道・臨書:臨書「重之集」(しげゆきしゅう)

 最近の、当臨書ブログでは、ちょ遂良の楷書の名品「雁塔聖教序」の臨書作品を公開していたが、今日は久し振りに、古筆の「重之集」(しげゆきしゅう)の一部分を臨書、公開してみた。
 “仮名”のイメージを大きく変えるまでの、筆を開閉させ、展開させている箇所を臨書。

2007-09-07

書・書道・臨書:臨書「雁塔聖教序」(ちょ遂良)

 ちょ遂良「雁塔聖教序」の一節を臨書。右下払いの多い箇所を選んでみた。
 まさに、顔真卿(がんしんけい。中国唐時代の四大書家の一人)を彷彿とさせる、ボリュームのある払いは圧巻である。

2007-09-06

書・書道・臨書:臨書「雁塔聖教序」(ちょ遂良)

 ちょ遂良(ちょすいりょう)の楷書の名品「雁塔聖教序」(がんとうしょうぎょうじょ)の臨書作品。
 一本の線における、微妙な筆圧の変化も素晴らしいものがあるが、さらに、文字の懐を大きく見せるヒントが、この「雁塔聖教序」では明瞭に示されている。

2007-09-04

書・書道・臨書:臨書「雁塔聖教序」(ちょ遂良)

 最近、自身、書家としての書学の一環として行っている、ちょ遂良(ちょすいりょう)の楷書の名品「雁塔聖教序」(がんとうしょうぎょうじょ)の一節を臨書してみた。
 この臨書作品の場合、特に三文字目・五文字目の右下に向かう細線の微妙な筆圧の変化に注意して臨書している。

2007-09-03

書・書道・臨書:臨書「雁塔聖教序」(ちょ遂良)

 しばらく、この当臨書ブログでとりあげようと思っている、ちょ遂良(ちょすいりょう)の楷書の名品「雁塔聖教序」(がんとうしょうぎょうじょ)を臨書。
 たしかに“楷書”の名品なのだが、細かく観察してみると、行書体のように、画を続けている箇所がある。
 また、「雁塔聖教序」を臨書する際、右下への払いを顔真卿(がんしんけい)の如く大胆に揮毫したい。

2007-09-02

書・書道・臨書:臨書「雁塔聖教序」(ちょ遂良)

 この当臨書ブログでは久々の登場となる、ちょ遂良(ちょすいりょう)の楷書の名品「雁塔聖教序」(がんとうしょうぎょうじょ)の一節を臨書してみた。
 繊細な線質でありながら、(特に)右下への払いに重厚さがみられる。また、一文字目の上部と下部の位置関係、三文字目の偏と旁の関係、六文字目の一番右側の縦線の変化など、あらゆる箇所に気を配りながら臨書することが重要。

2007-08-31

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)の一節「小道壮夫不爲」を臨書。
 書譜のなかでも、非常に明るく軽快な動きで作品を展開させている箇所である。
 しかし、だらだらと勢いを流すだけでなく、しっかりと止めるべきところは止めて作品を引き締めることが大切。
 また、このような軽快な箇所(古典)を臨書しているからこそ、豪快系の書道作品も制作できるのだと考えている。

2007-08-27

書・書道・臨書:臨書「ヒン風図詩巻」(董其昌)

 最近の当臨書ブログでは、孫過庭(そんかてい)の草書の名品「書譜」(しょふ)をとり上げていたが、時代を明・清に移し、董其昌(とうきしょう)の作品を臨書してみた。
 鋭い筆致、リズミカルな運筆、爽やかな線は、書家としての書学のテキストとなる古典の要素を、おおいに持ち合わせている。

2007-08-23

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)の最後のあたりの箇所「之旨余無取焉」を臨書。
 特に、一文字目「之」の第一画目の点と二画目の距離に気を配ってみた。

2007-08-21

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 最近の当臨書ブログで続けてとりあげている、孫過庭(そんかてい)の名品「書譜」(しょふ)の一節「議於断割語過」の書・書道(臨書)作品。
 特に、三文字目の「断」の最終画などは、文字の懐を大きく取って、余白の重要性を我々に示してくれている。
 よく、「臨書の行為が書道作品制作に結びつかない」という声をCalligrapherの主宰する書道教室でも耳にする。
 それは、『この古典のこのような部分を書道作品にとりいれてやろう』という心構えの不足から来るものなのである。

2007-08-20

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)の一節「龍泉之利然後」を、引き続き臨書してみた。
 『仮名書道作品を制作するには、漢字の草書の古典臨書学習が必要不可欠』と申し上げても、特に初学の方にはなかなか、理解してもらい難いところがある。
 Calligrapherの主宰する書道教室でもそうだ。
 確かに、古筆にも漢字は登場する。しかし、古筆のような小さな文字造形のなかで、正確な(草書の)文字造形のとりかた・運筆をマスターしようと考えても、なかなかできるものではない。

2007-08-18

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 引き続き、孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)の一節「道也豈可執氷」を臨書。
 筆を持つ期間が長くなれば、今度は、線を追いかけるのではなく“余白を追いかけた書・書道(臨書)作品制作”を心掛けてもらいたい。 

2007-08-16

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 孫過庭(そんかいてい)の「書譜」(しょふ)の一節を臨書。 文字の懐を多くとり、作品全体のスケールを大きく見せる点に注目し、臨書を行ってみた。

2007-08-13

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 ここ数日続けている臨書作品の「書譜」(しょふ。孫過庭)の一節「内殊衂挫於豪」を臨書。
 二文字目・五文字目の“線を交差させる箇所”において、それを縦画の上で行わない(縦画の位置からはずして交差させる)点を学びたい。

2007-08-12

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)の一節「手雙暢翰不虚」を臨書。
 五文字目「不」の最終画は、「書譜」の古典特有の節筆を表現したもの。

2007-08-11

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 引き続き、孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)を臨書(「其点画乃成其」)。
 この場面は、“書聖”王羲之(おうぎし)「十七帖」(過去の当臨書ブログ記事参照)のように、無駄な動きを排除した箇所で、初学の方には、うってつけのそれである。

2007-08-10

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 仮名書道作品においても、漢字の草書の古典(臨書)学習を怠ることは決して出来ない。
 現在、私は自身の書家としての書学の一環として、古筆「針切」(はりぎれ)を研究している。
 しかし、それを行うにつれて、『やはり、仮名には草書の学習が必要不可欠』との想いが強くなる。今回も、孫過庭(そんかてい)の名品より「書譜」(しょふ)の一節「研妙不亦謬哉」を臨書してみた。
 特に、「妙」字は確実に書道作品にそのまま使える造形・運筆である。

2007-08-08

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)の一節を臨書。全く無駄な動きの無いところを意識して表現してみた。
 現代の奇抜さを狙う書・書道作品制作に、注意を促すかのようなところを鑑賞(臨書)することが大切。

2007-08-06

書・書道・臨書:「針切」(はりぎれ)の臨書成果を生かして

 普段より、自身の書家として行っている研究テーマの一つ、古筆「針切」(はりぎれ)を意識した、創作仮名書道作品(半紙サイズ)を制作してみた。
 細いながら下方へどんどん押し進めていく様を表現したいと考えながらの制作である。

2007-08-05

書・書道・臨書:臨書「針切」(はりぎれ)

 古筆「針切」の臨書(書・書道)作品。
 最近は、漢字の古典を(自身の書家としての書学のために)学習することが多くあった。
 そして、再び、“古筆の雅なところ”に触れるべく、以前より研究を続けている「針切」を臨書学習している。
 仮名書道作品のためだけ、というのではなく、近代詩文書(書道団体、書道展によっては「詩文書」「調和体」とするところも)や漢字にも応用が利くよう、それらへの創作活動も視野に入れた古筆の臨書を心掛けている。

2007-08-04

書・書道・臨書:臨書「書譜」(孫過庭)

 “書聖”王羲之(おうぎし)「十七帖」と並んで、草書の最良の“指南書”とされている、孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)の一節「尽墨仮令寡人」の臨書(書・書道)作品。
 この書譜の最初あたりの箇所では、書譜特有の「節筆」(せっぴつ)はまだ見られない。次回、その「節筆」が鑑賞できる箇所の臨書(書道)作品を、当臨書ブログに掲載する予定である。

2007-08-02

書・書道・臨書:臨書「十七帖」(王羲之)

 過日の、当臨書ブログでも公開した、“書聖”王羲之(おうぎし)「十七帖」の一節のなかから「年時爲復可々」を臨書してみた。
 「十七帖」にしては珍しく、若干の躍動感をみせる場面である。しかしながら、決して奇抜なところはみせないのが、王羲之の神業ともいえる。

2007-08-01

書・書道・臨書:臨書「蘭亭叙」(神龍半印本、王羲之)

 “書聖”王羲之(おうぎし)「蘭亭叙」(らんていじょ。神龍半印本)の一節を臨書してみた。
 特に五文字目「大」などの造形は、平凡な仕事をしているようで、なかなか実践できるものではない。
 優れた古典・古筆というのは、“平凡な造形・構成で非凡な仕事(書道作品制作)を行うことの重要性”を教えてくれている。

2007-07-31

書・書道・臨書:臨書「蘭亭叙」(神龍半印本 王羲之)

 先の当臨書ブログでも取り上げた“書聖”王羲之(おうぎし)「蘭亭叙」(らんていじょ)の一節を臨書してみた。
 四文字目の馬偏にあるように、書・書道の古典において、馬の書き順は非常に多く存在している。

2007-07-30

書・書道・臨書:臨書「孔子廟堂碑」(虞世南)

 虞世南(ぐせいなん)「孔子廟堂碑」(こうしびょうどうひ)の一節「武徳九年十二」を臨書。
 四文字目の「年」が、上に掲載の臨書作品にて揮毫されたものとは全く異なった造形であることに気付くと思う。
 勿論、「年」の造形でも間違いではない。しかし、同じ書道作品の中に「年」がいくつも出てくるような場合に、上の画像のそれを使うと、文字造形の重複をさけることができ、書道作品としての“格”を保つことができる。

2007-07-29

書・書道・臨書:臨書「蘭亭叙」(神龍半印本)王羲之

 “書聖”王羲之(おうぎし)「蘭亭叙」(神龍半印本)の一節を臨書してみた。
 この箇所は、蘭亭叙のなかでも、非常に有名なそれの一節で、より細やかな鑑賞をもって、造形を大切に“形臨”を心掛けた。
 私の主宰する書道教室でも、必ずこの蘭亭叙の古典臨書は行うようにしている。
 しかし、三文字目「氣」の八画目の縦画を真っ直ぐにしてしまう方が多くおられる。
 それでは、いつまで経っても古典が教えてくれている“書の何たるか”という点を理解できない。

2007-07-28

書・書道・臨書:「石鼓文」の臨書の成果を生かして

 基本的に、私は漢字・近代詩文書を中心に創作活動を行う書家である。
 しかし、(近代詩文書などで頻繁に使われている)行書・草書体だけを学習していたのでは、書道作品に奥行きが出ない。
 今回は、「石鼓文」(せきこぶん)の臨書を生かして「大方無隅」を創作してみた。

2007-07-27

書・書道・臨書:臨書「雁塔聖教序」(ちょ遂良)

 中国唐時代を代表する書家、ちょ遂良の名品「雁塔聖教序」(がんとうしょうぎょうじょ)の一節を臨書してみた。
 繊細な線から繰り広げられる多彩なそれの抑揚と、顔法(顔真卿の書法)に勝るとも劣らない力強い書風は観る者を圧倒するところであろう。

2007-07-26

書・書道・臨書:臨書「黄州寒食詩巻」(黄庭堅)

 昨日に引き続き、黄庭堅(こうていけん)の代表作「黄州寒食詩巻」(こうしゅうかんじきしかん)の一節を臨書。
 上の臨書作品は、私の主宰する書道教室の稽古が終了してから揮毫したものである(自身の書家としての書学の一貫)。
 当方の書道作品では、字形を扁平にして作品の安定を図る、ということがあまりないため、自身の書における“引き出し”を多くすることを考え、学習してみた。

2007-07-25

書・書道・臨書:臨書「黄州寒食詩巻」(蘇軾)

 蘇軾(そしょく)「黄州寒食詩巻」(こうしゅうかんじきしかん)の一節の臨書作品。私の主宰する書道教室での稽古の添削の時間があいたときに制作した、臨書手本である。
 「黄州寒食詩巻」の特徴は、(基本的に)扁平な文字造形で安定性を図っているところにある。