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2010-05-12

書・書道・臨書:臨書「行書五律詩軸」(王鐸)

“書家”が近年、もっとも臨書する機会の多い、王鐸(おうたく)の古典。その王鐸の古典の中から「行書五律詩軸」の一節を臨書してみた。

三文字目「書」字は是非、落款で使いたい造形だと考えている。当書道教室の生徒さんにも、この「書」を落款で使用してもらうよう、稽古の中で薦めて行きたい。

2010-05-11

書・書道・臨書:臨書「行書五律五首巻」(王鐸)

近年、書家が臨書する機会の多い、王鐸(おうたく)の古典「行書五律五首巻」の一節を臨書。

特に四文字目の「声」は創作書道作品を制作する場面でよく使わせてもらっている。

書道教室でも、王鐸の古典を生徒にすすめることが多くなったように思う。

2010-01-24

書・書道・臨書:臨書 「集字聖教序」(王羲之)


 行書の名品の一つ、王羲之(おうぎし)「集字聖教序」の一節を臨書してみた。

 筆をしっかり立てて運筆することを心掛けている。

 5・6文字目のそれぞれ上部と下部の位置関係を見逃さずに臨書した積り。

2009-07-03

書・書道・臨書 臨書:王羲之(おうぎし)「蘭亭叙(らんていじょ)」(神龍半印本)


 久しぶりに、私“書家”の当臨書ブログを更新してみた。そして久しぶりに掲載する臨書作品は、王羲之(おうぎし)「蘭亭叙(らんていじょ)」(神龍半印本)の一節である。

 非常に格調高いこの蘭亭叙(らんていじょ)の神龍半印本。私、書家の主宰する書道教室でも必ず学書することを薦めている。

2007-10-31

書・書道・臨書:臨書「蘭亭叙」(神龍半印本 王羲之)

 書家はみな学習しており、また、書道を勉強していて、知らないと必ず恥をかいてしまうほどの、名品中の名品「蘭亭叙」(らんていじょ。神龍半印本・王羲之)の一節を臨書してみた。
 とにかく原本に忠実に細かいところの形も見逃すまい、と神経を集中させ臨書。

2007-09-29

書・書道・臨書:臨書「蘭亭叙“神龍半印本”」(王羲之)

 書家の主宰する書道教室に、新規入会者があった。
 まだまだ初学の段階ではあるが、全く筆を持ったことが無いわけでもない。しばらくは、“書聖”王羲之「蘭亭叙」(らんていじょ。神龍半印本)の優雅な世界を堪能していただこうかと思う。
 さて、次回の当臨書ブログでは、孫過庭(そんかてい)「書譜」(しょふ)をとりあげる予定である。

2007-09-13

書・書道・臨書:臨書「十七帖」(王羲之)

 “書聖”王羲之(おうぎし)の草書の名品「十七帖」を臨書。当臨書ブログでは以前にも、この十七帖をとりあげたが、今回は創作書道作品への移行を意識して、羊毛超長鋒筆を使用して、臨書(書道)作品としてみた。

2007-08-02

書・書道・臨書:臨書「十七帖」(王羲之)

 過日の、当臨書ブログでも公開した、“書聖”王羲之(おうぎし)「十七帖」の一節のなかから「年時爲復可々」を臨書してみた。
 「十七帖」にしては珍しく、若干の躍動感をみせる場面である。しかしながら、決して奇抜なところはみせないのが、王羲之の神業ともいえる。

2007-08-01

書・書道・臨書:臨書「蘭亭叙」(神龍半印本、王羲之)

 “書聖”王羲之(おうぎし)「蘭亭叙」(らんていじょ。神龍半印本)の一節を臨書してみた。
 特に五文字目「大」などの造形は、平凡な仕事をしているようで、なかなか実践できるものではない。
 優れた古典・古筆というのは、“平凡な造形・構成で非凡な仕事(書道作品制作)を行うことの重要性”を教えてくれている。

2007-07-31

書・書道・臨書:臨書「蘭亭叙」(神龍半印本 王羲之)

 先の当臨書ブログでも取り上げた“書聖”王羲之(おうぎし)「蘭亭叙」(らんていじょ)の一節を臨書してみた。
 四文字目の馬偏にあるように、書・書道の古典において、馬の書き順は非常に多く存在している。

2007-07-29

書・書道・臨書:臨書「蘭亭叙」(神龍半印本)王羲之

 “書聖”王羲之(おうぎし)「蘭亭叙」(神龍半印本)の一節を臨書してみた。
 この箇所は、蘭亭叙のなかでも、非常に有名なそれの一節で、より細やかな鑑賞をもって、造形を大切に“形臨”を心掛けた。
 私の主宰する書道教室でも、必ずこの蘭亭叙の古典臨書は行うようにしている。
 しかし、三文字目「氣」の八画目の縦画を真っ直ぐにしてしまう方が多くおられる。
 それでは、いつまで経っても古典が教えてくれている“書の何たるか”という点を理解できない。

2007-07-18

書・書道・臨書:臨書「蘭亭叙」(神龍半印本)

 私が主宰する書道教室の添削の際、それの時間があくと、書家としての自身の書学を行うようにしている。
 今回も、書道作品の添削の合間ができたので、“書聖”王羲之(おうぎし)「蘭亭叙」(らんていじょ。神龍半印本)を臨書。
 これは、当書道教室に新たに入会された方のための手本として使っていただこう、と思っている。よって、できる限り、原本の形に忠実な臨書姿勢である“形臨”を心掛けてみた。

2007-07-13

書・書道・臨書:臨書「蘭亭叙」(王羲之)

 昨日に引き続き、“書聖”王羲之(おうぎし)「蘭亭叙」(らんていじょ)の一節を臨書。
 優雅な伸びのある線と、強靭で重厚感のある線が見事に調和し、いつまでも見飽きることが無い。“汲めども汲めども尽きない、古典の魅力”とはそのようなことを言うのだと考えている。

2007-07-12

書・書道・臨書:臨書「蘭亭叙」(王羲之)

 名品中の名品として、あまりにも名高い“書聖”王羲之(おうぎし)「蘭亭叙」(らんていじょ)の一節を臨書してみた。
 私の主宰する書道教室では、「孔子廟堂碑」の次に習う古典としている。
 非常に優雅な文字造形と全く無駄の無い動きに、ただただ畏怖の念を抱くばかりである。

2007-07-09

書・書道・臨書:臨書「十七帖」(王羲之)

 “書聖”王羲之(おうぎし)「十七帖」の一節「五十年中所無」を臨書。
 書道作品を制作していると、どうしてもあれこれと自身の持つ最大限の技術を駆使してしまいたくなる。
 しかし、この王羲之の名品「十七帖」はそのような“野心への戒め”を表現してくれているように思う。

2007-07-06

書・書道・臨書:臨書「十七帖」(王羲之)

 “書聖”王羲之(おうぎし)の草書の名品「十七帖」の一節「復及此似夢」を臨書(りんしょ)。
 文字の中の余白を大きくとることと、(特に)左下に向かう線が同方向にならないよう、注意しながら臨書を行ってみた。

2007-07-05

書・書道・臨書:臨書「十七帖」(王羲之)

 王羲之(おうぎし)「十七帖」の一節「龍保等平安也」を臨書学習してみた。
 先の当ブログでも記述の通り、王羲之の名品には全く無駄な動きが無い。そこにあるのはあくまでも“自然”。
 そのようなことを想いつつ、書家活動に励む今日、この頃である。

2007-07-04

書・書道・臨書:臨書「十七帖」(王羲之)

 引き続き、“書聖”王羲之の草書の名品「十七帖」の一節を臨書(「謝之甚遲見卿」)。
 無駄な動きを完全に排除し、しっかりと直筆(ちょくひつ)に筆を立て、一画一画の筆運びを力強くすることが大切(ちなみに、「直筆」の重要性から、それを私の主宰する書道教室の名前の一部にしている)。

2007-07-03

書・書道・臨書:臨書「十七帖」(王羲之)

 “書聖”王羲之(おうぎし)「十七帖」の一節「無縁言面爲歎」を臨書。
 「爲」などの左下に向かう線を鑑賞していると、同方向には角度をつけていないことに気付く。必ず角度を変え、作品の質を落とさないような工夫がされている。
 書道作品制作の際には、そのようなところを生かしたい、と考える書家の一人である。

2007-07-01

書・書道・臨書:臨書「十七帖」(王羲之)

 “書聖”と仰がれ、書道の世界における中心的人物として名高い王羲之(おうぎし)の草書の名品「十七帖」の一節「吾前東粗足作」を臨書。
 昨今の書道作品には奇を求めるものが多くあるように感じられる。そのような中において、この十七帖を鑑賞していると、全く無駄な動きの無い“自然”の大切さを想う。