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2009-12-10

書・書道・臨書:臨書「本阿弥切」(ほんあみぎれ)


 書家の主宰する書道教室の稽古が終了してから取り組んだ「本阿弥切」(ほんあみぎれ)の臨書である。

 臨書ではあるが、創作への過程を意識して、潤筆(じゅんぴつ)と渇筆(かっぴつ)の変化を大きくして、作品を立体的にみせる努力をしている。

 小粒の造形ながら、強靭で紙面を切り裂くような鋭い筆致を習ってみた積り。

2009-08-07

書・書道・臨書:臨書「寸松庵色紙」

 池田桂鳳先生曰く『古筆の王様』こと「寸松庵色紙」の一葉を、料紙に臨書してみた。

 古筆の臨書は原寸大が一般的。書家の上の臨書作品も原寸大で臨書している。書家の主宰する書道教室でも、盛んに臨書することを薦めている古筆の中の一つである。


2009-07-04

書・書道・臨書:臨書「寸松庵色紙(すんしょうあんしきし)」

 “古筆の王様”こと寸松庵色紙の一葉を臨書してみた。
 最初の一行目はあまり墨をつけずに、二行目の書き出しで墨を多く入れてみた。その二行目書き出しの強靭な線質は見ものである。
 書家は、(特に)この二行目書き出しにいつも圧倒されている。

2007-11-06

書・書道・臨書:臨書「関戸本古今集」(せきどぼんこきんしゅう)

 書家の主宰する書道教室での稽古が終わった直後に、何気なく臨書を行った「関戸本古今集」の臨書(書道)作品である。
 わずか三行なのだが、この小さな空間に非常に雄大でスケールの大きな世界が表現されており、ただただそれにひれ伏すばかりである。
 例えば、二行目の“人”とそれに続く“こと・・・”の処理なども、是非、創作書道作品で生かしたいものである。

2007-09-26

書・書道・臨書:臨書「寸松庵色紙」(すんしょうあんしきし)

 古筆「寸松庵色紙」の一葉のなかの一節「ちはや不(ふ)る」を臨書。
 特に“は”の懐の余白の使い方、また“や”に繋がるその周囲の白を大切に、見逃さぬよう、臨書してみた。
 因みに、臨書を行った際の文字造形の大きさは原寸大。

2007-09-09

書・書道・臨書:臨書「寸松庵色紙」(すんしょうあんしきし)

 “古筆の王様”とまで言われる、堂々とした雰囲気をみせる、古筆「寸松庵色紙」(すんしょうあんしきし)の一葉を臨書。
 一行目の「も」などは創作仮名書道作品で、すぐにでも使えそうである。

2007-09-08

書・書道・臨書:臨書「重之集」(しげゆきしゅう)

 最近の、当臨書ブログでは、ちょ遂良の楷書の名品「雁塔聖教序」の臨書作品を公開していたが、今日は久し振りに、古筆の「重之集」(しげゆきしゅう)の一部分を臨書、公開してみた。
 “仮名”のイメージを大きく変えるまでの、筆を開閉させ、展開させている箇所を臨書。

2007-08-06

書・書道・臨書:「針切」(はりぎれ)の臨書成果を生かして

 普段より、自身の書家として行っている研究テーマの一つ、古筆「針切」(はりぎれ)を意識した、創作仮名書道作品(半紙サイズ)を制作してみた。
 細いながら下方へどんどん押し進めていく様を表現したいと考えながらの制作である。

2007-08-05

書・書道・臨書:臨書「針切」(はりぎれ)

 古筆「針切」の臨書(書・書道)作品。
 最近は、漢字の古典を(自身の書家としての書学のために)学習することが多くあった。
 そして、再び、“古筆の雅なところ”に触れるべく、以前より研究を続けている「針切」を臨書学習している。
 仮名書道作品のためだけ、というのではなく、近代詩文書(書道団体、書道展によっては「詩文書」「調和体」とするところも)や漢字にも応用が利くよう、それらへの創作活動も視野に入れた古筆の臨書を心掛けている。

2007-07-22

書・書道・臨書:臨書「関戸本古今集」

 古筆「関戸本古今集」(せきどぼんこきんしゅう)の一節「も(毛)みぢ(遅)ば」だけを取り出して、臨書してみた(大きさは原寸大にて臨書)。
 「遅」から「は」に続く線は、連綿線であるが、実画と同様の強さをもっており、「は」の上の余白の大きさは、作品のスケールを大きくする効果がある。

2007-06-24

書・書道・臨書:料紙に、古筆「針切」を臨書

 古筆「針切」(はりぎれ)を臨書しているが、今日は気分を少し変え、料紙に「針切」を臨書してみた。
料紙は、仮名用半紙と比べ、墨をほとんど吸収しないので、小筆に含ませる墨の量を(仮名用半紙より)少なめにすると作品制作しやすい。

2007-06-22

書・書道・臨書:臨書「針切」

 最近続けて行っている、古筆「針切」(はりぎれ)の臨書作品を掲載。古筆の場合、実験的に同一の古筆且つ同じ箇所を繰り返し臨書してきた(当ブログでは、同一の箇所は掲載していないが)。
 そこで、先日から同じ針切の古筆でも、違う箇所の臨書を行い、自身の中のリズムを変える試みを行っている。
 臨書する箇所は違えど、やはり(文字造形は小さくても)スケールの大きなところは変らない。そのため、どうしても、大きく揮毫してしまいがちになる。最終行より一行前の部分などは、スケールの大きさに圧倒され、思わず大きく揮毫してしまったところである。

2007-06-20

書・書道・臨書:臨書「針切」

 昨日に引き続き、古筆「針切」(はりぎれ)の臨書。もう少し行間をあければ臨書“作品”として完成度の高いものになる。
 潤筆(じゅんぴつ。墨を多く含んでいる箇所)と渇筆(かっぴつ。カスレ)の対比などで作品の遠近感を表出しており、何ともいえない“自然体”に魅せられる。
 仮名だけではなく、漢字にも応用したいところである。

2007-06-19

書・書道・臨書ブログ:臨書「針切」

 今日は、久し振りに仮名の古典(古筆)をとりあげてみた。その中で「針切」(はりぎれ)というそれを臨書。
 小さい文字ながら、“針”の如く鋭い筆致でどんどん下部に向かって揮毫していくさまは圧巻である。
 また、近代詩文書(きんだいしぶんしょ)作家でありながら、仮名の造形に無頓着というケースもある。だが、仮名と漢字が調和してこそ、近代詩文書作品にも深淵なところが表出されるのである。
 私はそのような書家を目指したいと考えている。

2007-05-30

書・書道・臨書:臨書「本阿弥切」

 昨日の当ブログでも掲載した、「本阿弥切」(ほんあみぎれ)を臨書。
 しかし、昨日の「本阿弥切」臨書作品よりは、上の「本阿弥切」臨書作品のほうが、よりその特徴が表現された箇所を臨書している。
 紙面を切り裂くような鋭い筆致がこの古筆の持ち味である。それを(仮名の世界だけに留めるのではなく)漢字などの作品にも応用したいところである。

2007-05-29

書・書道・臨書:臨書「本阿弥切」

 最近のこの当ブログでは漢字の臨書が続いていたので、今日は古筆のなかで「本阿弥切」(ほんあみぎれ)を臨書してみた。その本阿弥切のなかでも、非常に(書道作品としての)展開の大きな箇所臨書した。
 漢字と仮名は対極にあるようなことを聞いたことがある。しかし、これは大きな誤りで、漢字も仮名も同次元のものであり、双方ともに学んで始めて両者の奥深さ、および自身が専門とする書道の領域の深淵さを知るのである。
 私の場合、漢字の書家であり、特に近代詩文書の場合、仮名造形も作品に混じる。
 よって仮名造形が正しく扱えないと、近代詩文書の質も低下する。

2007-05-09

書・書道・臨書:臨書「寸松庵色紙」(よく見かける構成の一葉)


この「寸松庵色紙」(すんしょうあんしきし)の構成は(前回の「寸松庵色紙」のそれと比べると)創作仮名書道作品で頻繁に見かける作品構成である。右下の文字群と左上のそれでの書・書道作品の展開となっている。
 非常にオーソドックスな書・書道作品の構成だけに、必ず臨書学習しておきたい一葉である。