昨日に引き続いて、“書聖”王羲之(おうぎし)「十七帖」の一節「天鼠膏治耳聾」を臨書してみた。
確かに、十七帖は肉太の線を用いて、重厚さを表現している。しかし、それだけでは単なる重苦しい書道作品にしかならない。
十七帖の古典を詳細に観察してみると、“自然に”軽快な動きを見せる箇所を作っている。
正統派の流れを行く古典の共通テーマは、やはり“自然”である。
また、近年では、「読める書道作品」なるものが流行っていて、(読みにくい)草書を学習する機会が減ってきているようである。
しかし、それでは、自身の書道作品に奥深さを与えることなどできない。と同時に、あらゆる書道の領域(書体)を広汎に渡って臨書学習しなければ、書家としてさまざまな意味で活動に支障が出ることになる。
まず、草書体を用いて表現する仮名書道作品を制作できない。そして書道教室などでの門下の指導にも行詰りを感じることになる。